February 2009.2
Today's Comment


小さな旅&日記「犬吠崎&銚子」

2009年2月27日

国立新美術館「加山又造展」へ
2009年2月24日

黒に包まれた妙齢の女性が!
2009年2月21日
区役所前の横断歩道、信号が赤だった。
男女数人が、それぞれに信号待ちをしている。
夕暮れにもほど近いが、まだ黄昏ない刻。
電柱に寄り添うように、黒い衣装に包まれた、妙齢の女性が立っていた。

髪は長くもなく、かといってけっして短髪ではなく、
艶やかにストレートで、首筋まで垂れている。
コートは黒のハーフ。
膝を隠すほどに長い黒のブーツ。
コートと中世の騎士が履くようなブーツの間、
微かに浮き出た素肌の白い肌。

かつてのフランスの女優、ブリジット・バルドーの色香を醸す。
だが、黒いサングラスに、素顔は隠されていた。
そして、右手の親指と人差し指に挟まれた煙草。
深く吸いこみ、大きく中空に向かって、大きく紫煙を吐き出す。

あるとはなしの微風に、紫煙はたなびいている。
果たして、何を待つ人なのだろうか。
繁華街でもない場所、何処か不釣り合いな匂いを感じた。

我が家のオカメインコがタマゴを!
2009年2月19日
仕事を終えて家に着いたのは午前の3時。
やはりこの時間は、まだ冷え込みがきつい。
さらに早暁は、一段と厳しさを増すようだ。
玄関を開けて部屋へ。

早速暖房を入れる。
何時もなら、オカメインコのオージ君が、
オージ、オージとお帰りの挨拶をしてくれる。
今日はやけに静かだ。
いったい、どうしたのだろう?

少し心配になり、鳥籠を覗いてみた。
あれ!餌がないのかな。
「ママ、餌が無いみたいだよ」
ママは鳥籠を開ける。
すると、水も汚れていた。
そして、水の入れ物を外した。

すると、「ほら、タマゴ」
見ると、ウズラの卵よりは大きく、烏骨鶏よりは小さかった。
てっきり、オージ君はオスだと思っていたのだが、メスだったのか。
一年くらい前、ヒナよりも少し育っていた時に、小鳥屋さんで購入してきたものだ。
その鳥がもうタマゴを産んだのだ。

かつて、オカメインコを飼ったことがあったが、2、3日して死んでしまった。
セキセイインコなどに比べれば、身体は大きくて逞しそうなのだが、
意外に育てるのは難しい。
もう一羽いるセキセイインコのピーチャンは、そこそこに言葉を覚える。

かつていた、セキセイインコは、教えもしないことまで覚える秀才だった。
あまりにたくさん言葉を覚えすぎて、主語と述語がこんがらがってしまうほどの愛嬌もの。
それに比べると、オカメインコのオージ君は、言葉をほとんど覚えない。
教えるのは、何時もママ。
やはり、歳とともに、言葉を教える情熱が薄れたのだろう。
だが、このオージ君は、なかなか勇気がある。

鳥籠から部屋へ放てば、ばたばた飛び回る。
やはり、セキセイインコより大きいだけ、
羽ばたく羽の音も大きく、頭上を旋回すればかなりの風圧。
そして、床に降りれば、そこには、三毛猫のミーコがいる。

ところが、ミーコを睨みながら、肩を張り出す。
さらに、薄紅のまん丸の輪の模様の付いたほっぺを膨らまし、
大きな橙色の鶏冠を、一文字に立てて、来るなら来いと威嚇する。
すると、ミーコは、情けなさそうに、哀しそうに、とぼけたふりをして立ち去る。
セキセイインコを見れば飛びかかったのに、今はこの体たらく。
今は、インコのピーチャンにさえ、飛びつかなくなった。
我が家の共存、それはそれで平和な毎日。

オカメインコのタマゴは、薄紫をおびた乳白色。
テーブルの上に、小さなまゆ玉のように、
神秘を漂わせながらひっそりと置かれている。
でも、このタマゴはけっして孵ることはない。
オカメインコもそのことを知っているのだろうか、
怒りもしなければ、見向きもしない。
また、明日、タマゴを産むのかと思うと、とても愉しみだ。

親切な町の電気屋さん
2009年2月18日
先日、玄関のサインボードの蛍光管が切れた。
4、5年前に、業者から頂いた、ベルギー・ビール・ヒューガルテンの看板だ。
白に黄色の背景、青の枠取りのロゴが目立つ。
それ以来、一度も蛍光管を変えたことがなかった。

とにかく、長持ちしたものと感心する。
ビスを外して蛍光管を外せば、8ワットだった。
このタイプは、電気工事もできる専門店に行かなければ購入できない。
今日は時間があるので、私の店とは線路向こうの、
ハッピーロードにある、山中電機へ出かけた。

この電機屋さんは古い。
最近の大山は消長が激しく、出店と退店の繰り返し。
とにかく、めまぐるしいこと甚だしい。
久しぶりに、大山に来た人は、一様に驚きを隠さない。

そんななかで、山中電機は生き残っている。
昔は表通りに面していたが、時世がら、表通り側は貸店にしている。
電機屋さんの玄関を開けて中へ。
蛍光管とグロスターターの型番を言うと、すぐに見つけ出してくれた。

やはり、電気専門店、普通の電気屋さんではないものも、揃えているのが嬉しい。
会計は〆て500円。
会計を済まして、ついでに、私の店の配線のことやら、
かつてあった、店の動力のことやらを聞いてみた。
すると、お店の2人の若者が、にこやかに、懇切丁寧に教えてくれた。

たかが500円の買い物のお客。
嫌な顔もせず、エアコンのカタログやらも開いて、説明してくれた。
きっと、2人はお店の若主人と、弟さんなのだろう。
今は電気製品の販売ではなく、電気工事を専業にしている。

笑顔を絶やさず、お客様への親切な応対。
たとえ、小さなお客様でも、大切にする心が以心伝心、
おおくのお客様へ、さざ波のように伝わる。
兄弟2人3脚、町の電気屋さん、頑張ってください。

ちりりーんと哀しげな鈴音が?
2009年2月17日
伊豆の河津では、狩野川の岸辺に、桜が絢爛と咲きほころぶ。
各地では色鮮やかに、梅の花が咲き匂う。
北の国の春はまだ遠いのだろうが、春は確実に、
一歩一歩、遅々とした歩みながら、到来を告げる。

立春も過ぎた今、日は長く、夕靄の刻も大きく5時を回る。
店の玄関を開け、簡単なスタンバイを終えて、一息ついたその時、
何所ともなく、ちりりーん、ちりりーんと消え入りそうに、哀しげに鈴の音が響いた。
気のせいかなと思いながらも、トイレで所用を足し出てきた。

すると、またしても、ちりりーん、ちリリーんと、天空から降り注ぐように響く。
からからと回る風車、哀しげにたたずむ童女の姿が、ふっと想起された。
しかし、ここは私のバーだ。
そんなことがあるはずはない。

さらに鈴の音は続いた。
すると、低く地を這うような読経が、聞こえて来た。
玄関の硝子戸ごしに、托鉢笠が見える。
そうか、托鉢僧の五鈷鈴の音の響きだったのだ。

ポケットに手を入れてみたが、お賽銭がない。
金庫から百円玉を取り出し、玄関の扉を開けた瞬間、
僧侶が立ち去ろうとした。
その時、私は声を掛けた。

「お坊さん!」
すると僧侶は振り向いた。
黒くあるはずの法衣は薄汚れ、灰色の斑模様。
よれよれの衣は、風にうち震えているようだった。

右手には五鈷鈴を持ち、左手には、
碁の収め器に似た丸い木の椀が、手の平に乗っていた。
私は些少ではあるけれど、その器に、先ほどの小銭を幾枚かそっと入れた。
すると、托鉢僧は、私の眼をしっかりと見ながら、鈴を鳴らし、読経を始めた。

私は右手を、顔の前に一文字にして、感謝の微笑を洩らした。
僧侶の黒い瞳の中に、きらりと笑みが光る。
さらに、もう一度、ちリリーんと響かせ、托鉢笠を微かに前に傾け、私に礼をおくる。

春近しいえど、日が落ちればまだ肌寒い夕刻。
昼の陽気が嘘のように、吹き渡る風は冷たい。
僅かな僅かな善幸は、気持ちが晴れ晴れとして気持ちが良いもの。
たとえ、その托鉢僧が偽物だったとしても、私の善幸に変わりはない。

小さな旅&日記「久留里を訪ねて」を更新
2009年2月16日

人生は大回り、これも愉しい哉
2009年2月13日
去年の暮に、お店のPCを新調した。
おかげでPCが快適に動く。
その便利さに、あらためて驚く。
今まで使っていたのは、私の一代目のPC、悪名高いMe2000だった。

かれこれ、7年くらいは使っただろう。
すでにウィンドウズのサポートは、切れているのは勿論、
セキュリティー・ソフトさえ、新規にインストールできなくなってしまった。

それでも、壊れていないのだからと、フリーのセキュリティーなどで対応していた。
しかし、さすがに寿命なのか、画面がおかしくなって、上手く立ち上がらなくなった。
PCがなくては、お店のHPも更新できない。
そこで、仕方なく、PCを新調したという次第。

Me2000は、たびたびフリーズしたりの悪戦苦闘の連続。
しかし、苦労させられた分、いろいろと考えさせらりたり、
工夫するなりで、けっこう、PCのことを勉強させられた。

おかげで、PCのことがいろいろと分かるようになった。
きっと、今のような使い勝手の良いPC環境では、
便利すぎて、PCのことを勉強せずに過ごしたことだろう。

不便なPCだからこそ、いろいろと余計な勉強をさせられたことは事実。
たびたびのPCのトラブルによる、無駄な時間も使わされた。
だが、いっけん、無駄な時間と余計な勉強が、
PCの構造や基本を、教えてくれたような気がする。

人間の人生もしかり。
たくさんの余計な時間や勉強が、その人の人生を、いずれ、豊かにしてくれる。
それにしても、私の人生は、大回りの連続過ぎたかもしれない。
だが、余計に勉強したおかげで、今は愉しく、生きさせてくれているとも言える。

<追記>
誠に勝手ながら、明日(土)は、所用により臨時休業いたします。


仙腰a尚の最期のお言葉
2009年2月12日
高僧ともなると、今わの際には、ありがたき言葉を遺偈(ゆいげ)として、遺墨に残す。
枕辺に高弟たちが、師の言葉を聞きもらすまいと、凍りついたような静寂。
そして、最期の力を振り絞り、師は筆を握り、言葉を漢詩として残す。
まさに臨終の際に書かれる書の筆は震え、字は擦れてて消え入るようにして終わる。
そのの残された書は、師の遺言として後世に伝えられる。

かつて、九州の博多に、仙豪`梵「せんがいぎぼん・(1750ー1837)」という住職がいた。
江戸時代後期の臨済宗妙心寺派の禅僧で、23年間を聖福寺の第123世住持として過ごした。
仙腰a尚はこよなく書と絵を愛し、檀家や村民に、求められるがままにしたためた。
「うらめしや わがかくれ家は雪隠(便所)か 来る人ごとに 紙おいていく」という狂歌も残すほどだった。
子供が紙を持ってきても、快く絵を描いてあげたという。

村人たちは、少なくとも一枚位は、 仙腰a尚の書か絵を持っていた。
時には、障子や襖の穴ふさぎにも、使われたとも言われている。
まさに、長い修行の果てに辿り着いた境地は、人に対する限りなく深い愛であった。
やがて、88歳にして、人生の達人にも、臨終の時がやって来た。
そして、高弟たちが、仙豪`梵師に、遺偈を求めた。

その言葉は、「死にとうない」であった。
この今わの際になって、いくらユーモア溢れる師でも、まさかの御冗談。
もう一度、本当のことを、おっしゃってくださいと懇願した。
答えはまたしても、「死にとうない」であったという。
人生、素直に、気取ることなく、自然体でいることが、より良く、愉しく生きることなのだろう。

無理して止めるは愚の骨頂?
2009年2月11日
早い時間に、Tさんがやってきた。
いつもの、コロナ・ビールを飲む。
Tさん、最近、また煙草を復活。
でも、家では吸わないらしい。
外で、お酒を飲む時に、ついつい吸ってしまうらしい。

とても美味しそうだ。
煙草の紫煙がゆらりと漂う。
でも、Tさんは、煙草を吸わない私に気を使う。
顔を横に向けて、私のほうに煙が流れないようにして、煙を静かに吹き流す。

「Tさん、遠慮しなくていいよ。他人の煙は気にしないから」
「でも、副流煙;が、いちばん悪いそうですから」
「でも、僕は大丈夫なの。たしかに、そのとおりだけど、気にしないの」

「マスターの気ですか?」
「私の場合、煙草を吸う人以上に、毎日、副流煙を山のように吸っている。
でも、気にしないの。気にしたって仕方がないから。僕は大丈夫だと決めちゃう。
気にしてても始まらないことを、気にしていたら、ストレスが溜まる。
それがいちばん、健康に悪いと考えるの」

そして、仕事が終わっての帰り道。
「僕が酒を止めるのと、君が煙草を止めるのと、どちらが難しいかな?」
すると、ママ「止めようと思わないから」
そのとおり!かりにでも止めるつもりのない人に、聞くのは愚門か?
無理して止めて、ストレスを溜めるのは、愚の骨頂だろう。
それにしても、なんともつれない返事ですな〜。

日本の箸は文化
2009年2月10日
夕方、近くの定食屋で夕食をした。
今日はホッケ定食。
しばらくすると、こんがりと美味しそうに焼けたホッケが出てきた。
もちろん、レモンの櫛形とt大根おろしもついていた。
そして、ホッケ開きの骨を箸で外した。

すると、骨が非常に細く、するりと、いとも簡単に取れた。
開きのもう片方に目をやれば、やはり、薄い骨がある。
同じように、外せばするりと身離れした。
なんと、開きにする時に、骨も一緒に、割り割いてしまっているのだ。
その技術にはいたく感心する。

しかし、待てよと、理屈親父は言いたくなった。
たしかに、最近は魚離れが進んでいるという。
子供たちにも、少しでも、魚をたくさん食べて貰いたいの一念で、
あれやこれや工夫している。

ひどい場合なんぞは、魚が頭なしで、
切り身で泳いでいると、本気で信じている子供がいるというから恐ろしい。
母親も、魚は切り身のほうが、便利で調理もしやすい。
しかし、そこで待てよ、待てよが始まっる。

日本の食文化に箸は欠かせない。
箸さえあれば、日本の食事はなんでもOK。
中華だって洋食だって十二分に働いてくれる。
日本食に魚は欠かせない。

その大切な魚を、お頭付きで調理して、
巧みに箸を使って、骨を外し、身を食すのは日本文化。
そのために、上手に箸を使えるように、子供の時から学習をする。
さらに、食事をする時、魚に感謝しながら、残らず食べきることも教えられた。

日本の箸は、高度な食事の所作に、支えられている。
フランス料理には、料理によって、スプーン、ナイフ、フォークとたくさんの道具を使う。
フォークの形は、限りなく人間の指と手に近い。
まさに、日本の箸は、洗練された高度な芸術作品。
文化とは、こちらから近づき、学習して、初めて育てられるもの。
卑近な形で、迎合し、妥協してはいけないだろう。

かつての仲良し三人組
2009年2月9日
先週の金曜日、夜の8時頃、三人連れがやって来た。
懐かしいメンバーだった。
「懐かしいですねマスター、憶えてますか?」
「もちろん。Sさんでしょう」
Sさんは嬉しそうなつぶらな瞳で笑顔。
幾つになっても、笑窪がくぼんで愛らしさを残す。
私の店に来たのは、十数年振りか。

先日、Mさんがやって来た時、ぽつりともらした。
「この前、Sさんから、久し振りの電話が来たの。
何かやなことがあると電話があるから、Sさんち、やばいのかな」
そして、金曜日、SさんとMさんとKさんがやって来たのだ。
KさんとSさんはかつて夫婦で、KさんとMさんは小学校時代の仲間。
だから、うちの店に来店するときは、何時もこの、仲良し三人組だった。

やはり、Mさんの予想は当たった。
SさんがKさんと別れた後、結婚したNさんと、最近、別居することになったのだ。
それを聞いて、一週間前のMさんの予想が、余りにも早いので、吹き出しそうになった。
Sさんはにこにこと笑顔で、経緯を語っているが、かなり落ち込んでいる。
Mさん、「Nさん、良い人だったけどな。隣の人とはかなり違うけど」
Kさんも笑いながら、「なに言ってんのよ、酷いんだから」

Sさん、「俺、これで二度目だろ。まだ、離婚したわけではなく、別居なんだけど。
二度目になると、こちらが何所かおかしいと、思われるのが嫌だな」
すると、Kさん、「あの時だって、あんたが悪いのよ」
Mさん、「それはないだろう。種蒔いたのは、あきらかにKだよ」
Sさん、「俺も悪かったけど、Kは酷かったから」

Mさん、「俺もKに責任があると思うよ」
Kさん、「それはないな・・・・・・」
Mさん、「でも残念だな。Nさん良い人だし、Sも友古い達だから」
別居とはいっても、状況はかなり深刻のようだ。
かつての奥さんは、カンフォート・リッキーを、
静かに飲みながら、昔の旦那の隣に座っている。
はたから見れば、三人は昔のままの仲良し三人組に見える。

すでに、奥さんのNさんは、荷物を持って引っ越した。
二匹いたかわいいパピヨン犬は、それぞれに一匹づつ引き取られた。
さみしがり屋のSさん、「Mさん、これからちょこちょこ遊びに来てよ」
Sさんは商業デザイナーで、かなりの凝り性。
家にはプロ仕様の、CDプレイヤーもある。
買った時の値段を聞いて吃驚した。
120万円したという。
一人になったこれから、CDプレーヤーは、どんな音を出してくれるのだろうか。

芥川龍之介「手巾」より
2009年2月6日
ある夏の昼下がり、夕刻にはまだ遠い午後。
大学教授Kの下に、女性が訪れた。
お手伝いが女性の名刺を持って、教授のもとへ。
教授は女性が待つ応接間に入るやいなや、
絽を召した着物姿の女性が、さっと立ち上がり挨拶をした。
しかし、教授には、何処か見覚えはあるが、はたと思い出せない。
女性に席を促し、自分も椅子に腰かける。

やがて、女性は語り始めた。
自分の息子が、教授の教え子で、入院している時、何度かお見舞いをしていただいたこと。
だが、その息子は、治療の甲斐なく、鬼籍になり、今日で初七日だと語った。
しかし、女性の顔には、悲しみの影もなく、笑みさえ浮かべていた。
自分の最愛の大学生の息子が亡くなったというのに、微笑さえ浮かべていた。

すると、教授が手にしていた団扇が、するりと落ちてテーブルの下へ。
教授が拾おうとすると、団扇は女性の白足袋の上に、微かにかかっていた。
そして、団扇を取ろうとした瞬間、女性の膝の上に置かれたハンカチを見た。
女性の両手は震え、両手でしっかりとハンカチを握りしめている。
ぎりぎりと絞められれ、今にも切れてしまいそうであった。

そして団扇を持って、椅子に座りなおし、女性を見れば、やはり微笑をたたえていた。
苦しいこと、悲しいことをじっと耐えながらの微笑。
心の中の悲しみは、どれ程までに深いのか。
その悲しみの深淵はあまりにも深い。
日本人の母親の姿が彷彿と浮かび上った。


インドからのお土産、オールド・モンク、到着
2009年2月5日
お酒の話を更新

早く桜の季節よ来〜い!
2009年2月4日
今日は立春。
熱海では熱海桜が満開の便り。
一昨年の今頃、箱根の十国峠を越えて、熱海の梅園へ出かけた。
快晴に恵まれ、箱根峠の朝焼けは美しかった。
そして、熱海梅園は、さすがに、凄い人出で華やいでいた。

濃い桃色の大ぶりな桜花が、陽光を浴びて、早春の風にゆらりゆらり揺れていた。
もちろん、紅梅白梅、黄梅蝋梅は揃い踏みだ。
立春から六日過ぎれば、春告げ鳥の鶯が、啼き始めるという。
しかし、花蜜をついばむ鳥は、目のまわりが白輪のメジロ。

降り注ぐ真昼の日差しに、照りかえされる梅の花々を飛び歩く。
そのさまは愛嬌に溢れていた。
春遠い、北の国は、これからが、本格的な寒波襲来だろう。
南北に長い日本、気候にも大きな違いがある。
三寒四温、早く桜の季節よ来〜い!

読書は、声を出して、じっくりと。
2009年2月3日
夕刊を読んでいたら、アナウンサーの山根基世さんのエッセイ。
ある日のこと、朗読をするために、「山椒大夫」を読み直したそうだ。
すでに、三回は読んでいたはず。
しかし、今回読んでみて、涙が滲むほどに、感動したと書いていた。
今まで、いったい、自分は何を読んでいたのだろうかと、考えさせられたそうだ。

仕事上、読書と言えば資料本の斜め読み。
その習性がついて、ついつい小説さえも、斜め読みをしていたのだ。
私も最近は、小説などは勿論、エッセイなども、頭の中で、声を出して読んでいる。
すると、良くかけた作品は、情景が浮かび上がり、情感も溢れてくる。
さらに、作家の文章のズムが、心地よく、心の中に響く。

若いころは、勉強しなければいけないことが山のようにあった。
そして、何時も切迫感と焦燥感に追われていた。
だから、何時も何所かで、早く読まなければと。
だから、ゆっくりと、声を出して、味わいながらなどの余裕はなかった。

しかし、この歳になって、やっと悟った。
いくら読めども、本は尽きない。
星の数ほど本はある。
自分が読みたいものを、時間をかけて、声を出しながら、じっくりと読み込む。
すると、素晴らしい作品は、向こうから、計り知れない感動を贈ってくれる。
これも、歳を取る楽しみのの一つだと思う。

離婚と女性の決断
2009年2月2日
先週の土曜のこと、若い女性のお客様が、私に質問をした。
「マスター、訊いていいですか?」
「どうぞ」
「結婚して、長く続く秘訣は何ですか?」
一瞬、余りにも唐突な質問なのでびっくりした。
こんな場合は、だいたいはお酒に関するの質問。

「驚いたな」
「マスターのホームページを見ていると、思うんです。
マスターとママさんが仲良く、写真に写ってるんで」
「旅日記ね?」
「そうです」
「僕らの場合は、全く価値観が違うことかな。
そして、趣味も好みも全く違うからかも」
「そうですか」

「価値観が同じだと、人生、順風満帆の時はいいけど、
厳しい荒波の時など、踏み込まれたくない時、分かったてしまうからこそ、
ぐさりと踏み込んで、傷つけたりすることもある」
「難しいですね」
「まあ、それだけでもないのですが。でも、私が見ている離婚のケースの多くは、
女性が、さくっと、男を見限るのが多いかな」

最近は、女性がキャリアウーマンで、ばりばりと仕事をしている。
たしかに、共働きだから、旦那様とも、様々な約束事は決めている。
しかし、やはり、よく考えてみれば、明らかに、女性の負担が重い。
そして、何時の日か不満も募り、夫へ告白。離婚しましょう。
ほとんどの場合、男は青天の霹靂、「何で!」
その時はすでに遅し!

女性はすでに、離婚を決意している。
動揺を隠せない夫をしりめに、さっさと荷物を整理。
行き先も教えずに引っ越しをする。
その時の、旦那様の悲しげで淋しげで、悄然とした姿は見るに忍びない。
子供がいない若い夫婦の場合には、特に多い現象と受け止めている。

女性は、決断するまでには、慎重で、たくさんの時間をかける。
しかし、一度決断を下すと、行動は早く、二度と振り向くことをしない。
そして、決断を下すまでは、絶対に、男に兆候を見せないから、たまったものでない。
男がだらしなくなったのか、女性が強くなったのか。
やはり、その両方であろう。

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